マイノリティの世界
世の中はマジョリティが都合の良いように造られている.マイノリティは常に苦しみながら生きている…という訳でもない.不便だと感じながらもこれが普通だと勘違いしている場合もある.
生まれて23年,ずっと修正テープが使いにくかった.1文字消すのに「だいたいこの辺!」と勘で引っ張る.勿論上手くいくこともあるが,大抵行き過ぎて前の文字も消してしまう.それでも修正テープはこういうもの,そんな認識だった.
しかしようやく気付いた.右手で使えば普通に使えることに笑
最近は左利きに対する風当たりが弱まり始めた. 左利きでの生活に慣れたからかもしれないが,私が日常生活で不便に感じることはほとんどない.
しかし私がまだ小学生だった頃は,切れないハサミに,スープを容器に注げないお玉,スポーツ店に2つ程しかない左利き用グローブ(しかも大抵黒色しか無かった)など,,,
まだまだ世間知らずの小学生でも分かるくらいに不便だった.
それが今では両利き用ハサミに両利き用お玉、カラフルな左利き用グローブ,,,
かつて「ぎっちょ」と揶揄,差別された左利きも現在はひとつの特徴,個性に変化した.私にとってこの時代に生まれて良かったと思えるひとつの要因である.
ところでこのようなことを考えていたら思い出したことがある.
大学時代に「身体障害」をテーマにしたレポートを書いた.
視覚障害や聴覚障害、肢体不自由をはじめとした身体機能に何らかの障害をもつ人が世の中には存在する.その方々にとって現在の世の中には生きにくい部分が少なからずあると思う.
しかし,かつて「障害」とされたであろう左利きが現在では「個性」に近くなっている.だからこそ,そう遠くない未来に「身体障害」も「個性」と言える世の中になるのではないか.
ここで大事なのは,共生を目指すことだと思う. 先程の利き手の話で例えるならば,左利きの人に「ハサミは右を使え」と言うのでは無く,左利き用のハサミを開発して右利きと左利きを差別することでも無い.
右利きと左利き,双方が使えるハサミを開発することが最も大切だと思う.
そうやってマジョリティもマイノリティも関係なく,誰にとっても不自由が極力少なくなるような社会を創造できれば身体障害が個性と言える時代が来るのではないか.勿論それが最も難しいということは分かっているけど…
確かこんなことを述べた気がする.
ここまで散々事細かに書き連ねていたら更に思い出した,
そういえばこのレポートC評価だった…
まあそういうこともあるよね.